月山学講座 第2回・雪と植物の関係 |
講師 ◇斎藤員郎氏(山形大学名誉教授・環境生態学専門) |
2009年9.13日(日曜)開催 |
□テーマ ◎雪と植物の関係 ■お話しの要旨 ■わたしたちのふる里、日本海側の多雪地方では樹木が積雪圧のため物理的な損傷を受けるだけではなく、雪融けが遅いため植物の成長期間が短くなるなどの不利な点があります。また、朝日・飯豊山地などでは広範囲の大規模な雪崩常習地があって特有の植物群落が展開します。 ■一方で積雪の下では外気ほど温度が下がらないなどの利点があり、温暖な地方の植物の系統に属するユキツバキやヒメアオキなど匍匐性の低木が多くみられます。これらは直立型のヤブツバキやアオキなど太平洋側の寡雪山地に生育する植物と近縁ですが、匍匐型形質は積雪環境に適応した結果であると考えられています。生物の進化あるいは種分化のひとつの現れです。 ■東北地方の自然林にはブナ林のほかに、秋田のスギ林、青森のヒノキアスナロ(ヒバ)林が有名です。これらの分布と成立には夏の水分気候だけでなく、冬の積雪も大きく影響していると考えられます。ブナは多雪環境に耐えますが、スギ、ヒノキアスナロの順に雪に対して抵抗力は薄れます。 ■本州の高山では、トウヒ・シラベ(シラビソ)・オオシラビソ(アオモリトドマツ)の3種が亜高山帯針葉樹林の代表的な樹種です。もっとも寡雪な紀州の高山ではトウヒが、四国の高山にはシラベが亜高山針葉樹林の主役ですが、本州中央部では内陸部の3種が混生する林から、降積雪が多い日本海側に向かってシラベ・トウヒを欠きオオシラビソだけの林になり、ついには針葉樹林帯を見ない山地が出現します。東北地方では奥羽山地でシラベ・トウヒがなくオオシラビソだけの林を見受けますが、日本海に近い羽越山地では針葉樹林帯は成立していません。なお、コメツガ、カラマツ、ヒメコマツなどはうえの樹種に混生するか、尾根筋などの特殊環境で優勢になることがあります。北海道の亜高山帯針葉樹林はおもにエゾマツとトドマツから成ります。 ■月山では奥羽山地に比べて大量の降積雪があるため、雪田草原やササ原、低木林などからなる開放的景観が広く展開しています。例外的に主稜線東側のバラモミ沢付近に小規模なオオシラビソ林が、姥が岳山頂にちかい南向きの岩角地にコメツガ林が認められます。これらはいずれも周辺部に比べて積雪が少ない立地です。 ■月山の湿原堆積物の花粉分析から、月山には1万年前にエゾマツやオオシラビソ、トウヒなどの針葉樹が繁茂していた時期があり、その後、寒冷期と温暖期を繰り返しながら固定した多雪環境がオオシラビソの生き残りに影響し、現在のような限られた分布になったと考えられます。 ■1970年代に、バラモミ沢周辺に車道を造る計画があって、オオシラビソ林の一部を伐開して測量が実施されましたが、このような微妙なバランスで成り立っている自然はひとたび人為が加われば原形復帰は不可能です。 ■自然の仕組みが急速に破壊されている昨今、自然の利活用は自然の回復力の範囲に収めなければなりません。原形復帰が不可能な自然は厳しく温存されなければなりません。 ■自然は常に変動します。温暖化も寒冷化も、山雪や里雪の現象も、ナラ枯れやブナ枯れも、すべて自然現象であって、基本的には不安定から安定への変化であり、自然がもっている調整と回復・再生の仕組みによる現象です。私たちは自然の仕組みに畏敬の念を持ち信頼すべきだと思います。 ■自然界の緩慢な気候変動とは違った急激な温暖化問題について: 人間を含めて生物の生存と生活は、自然界の再生産の仕組みに依拠しています。エネルギー源として、地球の植物を自然界の炭素循環に則った再生産の限りで利用すれば問題は少ないですが、地下に埋れて化石化した石油・石炭を大量に利用したため、それから発生するCO2ガスによって急激な地球温暖化に繋がりました。急激な地球温暖化は自然の仕組みから大きく逸脱した結果であると言えます。 ■月山地区においても問題となっている地滑り現象とその対応について 地滑り地帯は、適度な緩斜面と平地があって水が豊富ですから、人を含めて生物にとっては住みやすい環境であることが多いのです。他方で、地滑りは不安定から安定への自然現象ですから、これは多額の経費を投入して防止することはきわめて困難です。たとえ一時的に制御できるとしても、人の側が関わり続けなければならない負の遺産が生じます。未来永劫に自然の変化をコントロールできると考えるのはいかがでしょうか。地滑り地帯は危険ですから人は住まない方がよいのですが、しかし災害は忘れた頃にしかやってきません。ここで大切なことは、過酷な(あるいは危険な)環境でも余儀なく生活を営まなければならない事情は、歴史的・地理的・社会的背景を含む複雑な問題であると思います。 ◎事務局より 相変わらず、斎藤先生のお話しは、歯切れが良くて、爽快感がありました。分析にキレがあり、深い哲学があり、奥歯に余計な衣をつけないために、実に解かり易いのです。このように解かりやすく言えるのは、深い学識によるところに違いないと思うのですが、どこにもしがらみが無いということが大きいと思いました。科学者としてのリベラルな立場が貫かれるということは、決して簡単なことでは無いはずです。もっともっと学び続けなければと感じました。 |